大西洋奴隷貿易

アフリカにおける奴隷貿易


 ヨーロッパ人によるアフリカ人奴隷貿易は1441年にポルトガル人アンタム・ゴンサルベスが西サハラ海岸で拉致したアフリカ人男女(いわゆる黒人ではなくアラブ人だった)をポルトガル皇太子に献上したことに始まる。
 

1441年~1448年の間に927人の奴隷がポルトガル本国に拉致されたと記録されているが、これらの人々は全て黒人ではなくアラブ人であった。
 実はポルトガル人やイギリス人等の白人による奴隷狩りは、初期を除き行われていない。
実際に奴隷を集めヨーロッパの業者に売っていたのは、現地の有力者(つまりは黒人)やアラブの商人であった。
  
 1440年代、アフリカの黒人諸王国は互いに部族闘争を繰り返しており、奴隷狩りで得た他部族の人々をポルトガルへ売却するというかたちで通商を行っていた。
そしてポルトガル人はこの購入した奴隷を西インド諸島へ運び、カリブ海全域で発展しつつあった砂糖生産のためのプランテーションに必要な労働力として売却した。

 
 1450年代になるとセネガル、ベニン等のギニア湾岸諸国や、コンゴ等の地元勢力が戦争捕虜や現地の制度下にある奴隷をポルトガル人商人に売却するようになる。
 奴隷として売られた人々は、もともとの奴隷、戦争捕虜、属国からの貢ぎ物となった人々、債務奴隷、犯罪者等であったが、コンゴ等ではヨーロッパの業者へ売るための奴隷狩りを目的とする遠征が頻繁に行われていた。

 

 1800年代半ばまで奴隷貿易は続くが、ワイダ、ダホメ、セネガンビア等西アフリカのアフリカ人王国はこの奴隷貿易で潤うようになっていった。
 約3世紀に及ぶ奴隷貿易で大西洋を渡った黒人の数は1,500万人前後であるといわれている。

 

輸送中の奴隷の死亡率は13%で、奴隷船の船員の死亡率は20~25%。

キューバに於ける奴隷のルーツ