カラバリ/カラバル王国

カラバリ(kalabari)

 カラバリ族は現在のベナン共和国周辺から現在のナイジェリアのニジェール・デルタ東部に移り住んだ、イジョ族(ニジェール・コンゴ語族イジョイド語群)から派生した部族で、イジョ語を話す。

もともとアウォメ(族)と呼ばれていた。

 

 Kalabari(カラバリ)という名前は彼らの祖先であるMEIN OWEI(メイン・オウェイ)の息子、PEREBO KALABARI (ペレボ・カラバリ)の名に由来する。

 

 彼らはポルトガル人が来るまでは漁を営む部族であったが、奴隷貿易が始まると他の部族同様ヨーロッパ諸国との交易で富を築いていった。

 また、ポルトガル人との交易が始まる頃、カラバリは新たな土地に移り住み、元居た町にはその後ポルトガル人がCalabarという名を残したまま住み、現在はエフィク族の町になっている。

 

 イジョ族によって開かれた町Calabar(カラバル)はナイジェリア南東部、カメルーンとの国境近く、ニジェール川河口のデルタ地帯の町で、Calabarと綴られるが、それはポルトガル人が初めて訪れた際、Calabaree(カラバリ)と聞いたものをcalabarと綴ったことに由来する。 

 ポルトガル人はCalabarと書いてカラバリと読んでいたが、その後イギリス人が入植するとそのままKalaba(カラバー)と発音するようになり、この町の名前は現在のようにカラバー となった。

 

 

カラバル王国

 

 エフィク王国とも呼ばれるこの王国は、現ナイジェリア南東部の沿岸部クロスリバーデルタ地域にイビビオ族(ニジェール・コンゴ語族)が築いた王国。 

エフィクはイビビオ族の分派で、エフィク族の町の都でもあるカラバルにカラバル王国の都はおかれていた。

 

伝承によればイビビオ族のルーツはエジプト系のユダヤ人で、彼らは現スーダン共和国、エチオピアを経由してその地に至り、紀元前数千年にカラバル王国を築いたという。

また、カラバル王国こそが旧約聖書に現れるエデンの園であるという説を信じるものも多い。

この部族・地域に関する記録は植民地時代、1800年後半になってからのものしか存在せず、 それまでのものは口頭伝承によるもので、諸説が混交している。

 

カラバル王国には現在も活動を続けている男性による秘密結社『エクペ』があり、彼らによって 法律が制定されたり、組織の長にはカラバルの王が就くなど王国の政治と密接な関係にあった。

上記のカラバリ族の話と併せて考えると、カラバルはカラバリ族が築いた町で、彼らが他の町へ移り住んだ後にイビビオ族がその町に定住し、カラバル王国を建設したのではないだろうか。

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