ベネズエラに於ける黒人奴隷のルーツ

表題どおりベネズエラに於ける黒人奴隷のルーツであるが、大西洋奴隷貿易時代に新大陸へ運ばれた奴隷達のルーツが詳細にまとめられたレポートである。

 

下訳止まりではあるが、参考資料としては十分だろう。

原文はコチラ→procedencia de los esclavos negros de venezuela

奴隷のルーツ

 アフリカ文化のベネズエラにおける民衆文化への痕跡を調査することは、奴隷のルーツに関する問題に取り組む際、重要なことである。

 この問題を解決することは容易なことではない。

それは、統計学的データがないからではなく連行されてきた黒人達のルーツが広範囲に渡り散在しているからである。

そのため、わずかに現存するデータを元に新たに記録を再構築していかねばならない。

 

 奴隷制は新大陸においてアフリカ文化を破壊し、黒人達の社会的ポジションや経済環境を根本から変えてしまった。

奴隷達は人間的価値感、文化的価値観を根底から覆されることになった。

 

 もうひとつの重要な要素として、部族間における種族の混交と強制的文化摂取が挙げられる。

アフロ・アメリカーノたちはアフリカ、ヨーロッパ、原住民の文化を元に新たな、オリジナルな文化を創出することに成功した。

 奴隷達のルーツを特定するため、わずかに現存する閲覧可能な文献を分析した結果、おおよそ半数の黒人はギニア湾沿岸(黄金海岸からベナンにかけて)から運ばれ、残りの半数はコンゴ・アンゴラ地域から運ばれたようである。

 ポルトガルによって新大陸に運ばれた最初の黒人奴隷はカボ・ベルデとギニアからであった(カラカスの歴史学院にある西インド史料館、4巻)。

 

1570年にはクマナーにカボ・ベルデとギニアから500人の奴隷が到着する(国立資料館、1575年の農園の名簿、7巻)。17世紀にはポルトガルはギニア、アンゴラ、ベンゲラから奴隷を積み出していた。

 フランスはセネガルとダホメーにおいて奴隷を捜していた。

一方イギリスはシエラ・レオーネ、ダホメー、ガンビア、ナイジェリアから奴隷を輸入していた。

 

 リスカーによるとダホメー王国のフォン族がヨーロッパの国々に売り渡していたのは次の部族である。

ウィダ、アルダ、ポポ、アララ、アジャ、ケトウ、エウェ、マイ

さらに後年になるとフォン族はヨルバ族の町の幾つかを征服し、捕虜をポルトガルに売り渡していた。

19世紀、奴隷貿易の後期になるとキューバ、ブラジルにその足跡を残すことになる多くのヨルバ族が海を渡った。

一方、1800年頃奴隷貿易が廃止されたベネズエラにはヨルバ族はあまり存在していない。

 

また、18世紀には象牙海岸と黄金海岸からバルロベントへ黒人達が運ばれた。

この地域の最も重要な港はサン・ホルヘ・デ・ミナという名であったので、この港から送り出された黒人は『ミナ』と名付けられた。

ベネズエラのバルベントには同じ名称で呼ばれる太鼓が今でも存在する。

 

イギリスはコンゴ川の河口にバナナ工場を有していた。フランスはロアンゴとダホメーに。

ポルトガルはナイジェリア、ダホメー、ベンゲラ、アンゴラ、後にはモザンビークにおいて商業活動を行っていた。

 

18世紀にはイギリスはガンガ族、テンベ族をシエラ・レオーネから、マンディンガ族、フラ族、セレレ族、ソサ族、ティムネオ族とウォロフ族をセネガルから輸入していた。

 

国立史料館所蔵の王立農場に関する文献はわれわれに114人の黒人のそれぞれの国籍に関するリストを

提供してくれる。

また、1729年バルキシメトのヌエバ・セゴビアの町の、レアのドン・フアン・アンヘルの著書にはアフリカの部族の幾つかの名前が登場する。

 以下は、あちらこちらに散在していたそれらの書類から発見した全ての部族の名前をアルファベット順に

並べたものである。それぞれの部族を判別するためにマードックのアフリカという本を参考にした。

 

A:アナガチ、アンゴラ、アララ、アラチェ、アロビ 

B:バンビ、ベニョンバリラ、ビンガ、ベンバ、ブラン 

C:カチャンガ・カフォ、カンビンド、カブタ、カモアンダ、カマコンダ、カモフンダ、カンダラ、カラバリ、カシンバ、カタンガラ、カタロアキ、カテンデ、コンゴ、シレ

CH:チャララ、チャラ

E:エビア、エンブイラ

 

F:フロ、フォロポ、

G:ガンガ、グアチ、グアサ、ギネア、グウンガ

J:ジェレロ、ジリ

L:ルアンゴ

M:マバラ、マレンバ、マンデレ、マンディンガ、ミナ、モバンゴンベ、モジンガ、モンダ、

  モンドンゴ、モサンガ、マトアンゴンベ、ムグンチ、

N:ナゴ

P:ポポ

Q:キボト、キネネ、キソンゴ、キスロ

S:サペ、ソソ、スチ、スンディ

T:タカンガ、タリ

マードックの本を頼りに各部族を判別するのは難しい作業だった。なぜなら、その多くはスペイン語での発音を元に書かれ、あるものは判読が不能な状態だったからである。

とはいえ、大半の名称は現代の呼称で書かれていたため判別出来たのであるが。

 次に挙げるグループはマンデ族に属する部族である。

 

カンガ、マンデレ、マンディンガ、ソソ。

彼らはマンデ語を話し、父系制に基づく集落を形成する点にその社会構造の特徴がある。

彼らには氏族によるトーテムが存在し、また円錐形の家に住み、難解な同胞関係を持っている。

奴隷制は重要であり、彼らはヨーロッパの国々と関係を持つ以前から部分的にイスラム教を信仰していた。

また経済的にはベルベル人とのサハラ交易をもとに、幾つかの重要な帝国を建設した。

 ニジェール川南部からボルタ川流域にかけて、またナイジェリア北部にはボルタ族が暮らしていた。

われわれのリストによると、このグループには次の部族が属している。

 

ンガガ(アガチ)、バリバ(バリラ)、シャンガ(カオバンガ)、モシ(モヒンガ)、

シャンガ(モサンガ)、キビト、キネネ、キソンゴ、キスロ

最後の4部族はギン・セヌフォ族に属する。

 

 モシ族はモレ族に属し、ンガガ族はグルマ族に属し、バリバ族はバルグ族に属する。

後年になってこの地域にやってきたシャンガ族はマンデ族に属する。

 

 この地域の文化は、様々な部族が存在するものの、非常に画一的である。

父系の氏族社会が存在し、父系の集落を形成している。

その住居は主に円錐形で、中には長方形のものも見られる。

家族ごとに別々の家に住み、ごく最近まで奴隷を使っていた。

また、女性は地域の市場での仕事に従事している。

 

 一方セヌフォ族は母系社会である。

ナイジェリアの高地とカメルーンにはナイジェリア・プラテアウ族が住んでいる。

彼らはバントゥ語を話す。

われわれのリストによると、このグループには以下の部族が属している。

 

ンベンバ(バンビ)、チャラ、ロバ(アロバ)、カンバ(カモアンダ)、タロク(カタロアキ)、

クル(クレ)、ンブラ(エンブイラ)、グウンガワ(グウンガ)、グリ(ヒリ)、ムンガ(モンダ)、ムンガ(ムグチ)

彼らもまた父系の氏族社会を築き、長方形や円錐形の家に住み、頑丈に補強された村落に暮らしている。

マードックはこの地域をバントゥ語族の誕生の地と考えているようである。

 

 ナイジェリア南部の人々は古くからヨーロッパの国々と接触を持っていた。

その人々とは、

カラバリ族、エビア族、ヨルバ族(ナゴ族)

である。

 

ヨルバ族は1800年以降大量に新大陸へ運ばれた。

ブラジルやキューバにおいて彼らの文化が現在にまで保存されてきたのは、19世紀を通じ大量のヨルバ族がこれらの国々に運ばれたことにあるが、それはこれらの国において奴隷制が19世紀遅くまで続いたことによるところが大きい。

ヨルバ族には別の呼称がある。

ルクミ、又はアジョ。アジョはオジョから派生したグループで、ヨルバ族の国(オジョ王国)の都は1900年頃まで重要な町であった。

ルクミという名はダッパー(1668年)がその著書の中で述べたウルクミア、ウルカミという部族の名称に由来する。

  

『ウルクマの強大な王国はアルダとベナンの間に位置し、沿岸地域まで続く。この王国のリトル・アルデ、ポルト・ノボからオランダやポルトガルの奴隷船によって西インド諸島へ多くの奴隷が輸出される』

 

ミナ、アララ、ファンティ、アシャンティなど、ダホメー(王国)に住んでいた部族はしばしばルクミと混同されることがある。

いずれにせよ、ヨルバ族は16世紀には新大陸に運ばれている。

しかし大半のヨルバ族は1790年から1875年の間に運ばれている。

イギリス海軍の監視の目をかいくぐり、1890年代までナイジェリア、ダホメーの港からの奴隷の

密輸は盛んに行われていた。

 

 ナイジェリア南部の文化もまた非常に類似点が多い。それぞれの部族はクワ語を話す。

父系制の氏族社会とともに母系制のグループも散見する。

長方形で、天井に棟のある、ベネズエラのバルロベントにもみられるような住居に住み、その集落は道や川に沿って広がっている。

また、中庭のある住居もあり、そこでは家族の日常生活が繰り広げられている。

 

 社会的地位はお金で買うことの出来る肩書きに依っている。

ヨルバ族は都会に住み、家から少し離れたところに自分達の大農園を有している。

ヨルバ族とベニン族(ビニン族)は強大な帝国を築き、そこでは手工芸品や芸術が栄えた。

 

 ヨルバ族の信仰はアフロ・アメリカの混交信仰の中に残っており、それ故にわれわれの研究にとって重要性があるのである。

彼らは、世界や人間の創造主であり、オリチャと呼ばれる神々の上に立つ至高の存在を信じている。

オリチャの多くは各部族の、または各氏族の神で、その他のものは水をはじめ自然界の精霊である。

 

 オリチャはそれぞれに装具、紋章、聖なる色、年1度のお祝い、神殿があり、またそれぞれに司祭や信徒がいる。

 

 主なオリチャの中でも触れておかなければならないのは、至高の神であるオルンミラの意志を遂行するオバタラ、またはオリサンラであろう。

オルンミラは知識を司る神でイファの神託の守護神。ババラオの崇拝の対象である。

 オグンは鍛冶屋の守護神で、近年はタクシーの運転手の守護神でもある。

 チャンゴーもまた重要なオリチャで、雷を司り、伝説によるとオジョ(王国)の王であった。

 シャクパナは天然痘の神で、ナイジェリアの人々にとても恐れられている。

 エチューは『いたずら好きの神』で、エレグバラ、エレグアとも呼ばれる。エチューは他の神々の

メッセンジャーである。

 水への信仰と関係のある女性の神も存在する。

 後に見ていくことになるが、これらの神、オリチャは現在もアフロアメリカの信仰の中に息づいている。

ヨルバ族の宗教は非常によく組織された宗教的システムになっており、豊かな神話に基づいている。

 ヨルバ族のオジョ王国の西にはトゥウィ族が住んでおり、ダホメーのフォン族、トーゴのエウェ族、ガーナのアカン族、アシャンティ族、ファンティ族、象牙海岸の幾つかのグループはトゥウィ族に属する部族である。

 この地域全域からは3世紀の間何千、何万もの奴隷が運ばれた。

前記部族のアフロアメリカ文化への寄与は重要である。

 

 フォン族の信仰はハイチのブードゥーの中に残っている。

またファンティ族、エウェ族はアンティージャス諸島や南米のスリナムの中にその足跡を留めている。

われわれのリストに依るとこのグループには次の部族が属している。

 

アララ、アラジャ(アラチェ)、ワチ(グアチ)、エウェ、フォン、ワサ(グアサ)、アカン、 アシャンティ、ポポ ヘヘ(ミナ)、ポポ、タリ、トゥウィ
 

 エウェ族は父系の、アカン族は母系の一族集団を形成し、円錐形の、あるいは長方形の住居に暮らす。

アシャンティ族の王国とフォン族のダホメー王国は歴史上重要。

奴隷制はこの地域全域ではよく知られた制度で、ダホメーの王はその権勢をヨーロッパ各国との奴隷貿易に依っていた。18世紀にはその勢力は奴隷の輸出港であったアルダやウィダにまで及んでいた。 

 

 フォン族は隣国のヨルバ族としばしば争いを起こし、捕虜をヨーロッパの国々へ売り渡していた。

白人達は奴隷と武器との交換を伸張させるため、この両者の争いを煽り立てていた。

輸出港はアルダ、ウィダ、ポルト・ノボ、バダグリ、ラゴズ。
 

   フォン族は一夫多妻の父系社会で、それぞれの妻は固有の家に自分の子供と暮らしている。

その集落において男性は共同の農地を耕すため、仕事上のグループを組織する。

このシステムは『ドクプウェ』と呼ばれ、ベネズエラの『カヤパス』を連想させる。

 

 フォン族の最高神はマウ・リサで、ヨルバのような祭壇が用いられる。またそれぞれの神にはそれぞれの信者があり、大地の神、天の神、自然界の神、水の神などが存在する。

大きい祭り事には精霊を迎え入れる司祭や霊媒がいる。 

また、ウィダの寺院には聖なるコブラを崇める信仰があったが、エリスの時代に絶えてしまった。
 

 アシャンティ族とアカン族の絶対神はニャンコポンで、同名の神が南米のスリナムの逃亡奴隷の間にも存在する。

ガーナではスラーマントゥンとササボスンという下級神への信仰もあり、この神はしばしばセイバの木に宿る。

古くは神への生け贄に人身御供が行われていた。

また、水の神への信仰もある。
 

リベリア、シエラ・レオーネ、象牙海岸沿岸には次の部族が住んでいる。

クル族とマンデ語族。ンゲレ(ヘレロ)族とアメリカでは『ギニア人』という総称で呼ばれる部族。

彼らは18世紀にイギリスによって植民地へ運ばれた。

 

この地域の文化も類似性が多く、父系社会で、年齢別のグループの男性による秘密結社がある。 また、長方形の住居に住み、集落は中心部の広場を囲むように作られている。 奴隷制度は常に存在し、男女共に割礼が行われる。
 

 われわれのリストにある次のグループはセネガンビア(現セネガル、ガンビア)に由来するグループである。

 

バニュン(バニョン)、ブラン、テンダとテンデ(カテンデ)、ウォロフ(フォロポ)、 ウォロフ(フロ)、ザペとバガ(サペ)

これらのグループはポルトガル領ギニア(現ギニアビサウ)からスペイン領サハラ(現西サハラ) にかけて大西洋に沿って暮らしていた。この地域の奴隷の大部分はフランスとポルトガルによってセネガルのゴレー島を経由して新大陸へ運ばれた。これらのグループは母系社会を築き、古くからモーリタニアを通じてアフリカ北部と交易が行われていた。
 

 その他のグループでアメリカ大陸において重要な意味を持つグループはコンゴ族である。

コンゴ族(バントゥ族)はプランテーションで働かされたのに対し、ギニアからの奴隷は大邸宅の召使いとして、また工芸家として働かされていた。『ギニア人』はより洗練され、より知的で、より都会的で、より多く集会の自由を与えられていたため、彼らにとっては自分達の文化・習慣を維持することは容易であった。

ベネズエラにはコンゴ族の末裔が多く居るように思われる。 われわれのリストに非常に多数のコンゴ族の名があることがその裏付けと言えよう。 また、バントゥ語のある単語や、コンゴの太鼓なども現代にまで受け継がれている。

 カメルーン北西部から中央アフリカ共和国にかけては次のグループが存在する。

 

カフォ(バフォ)、マンダ(カンダラ)、シンバ(カシンバ)、カタガラ、テンデ(カテンデ)、 ムバング(モバンゴンベ)

彼らは道に沿って建てられた日干しレンガの壁と藁葺き屋根の長方形の住居に暮らしている。

社会的役割分担が不十分で、リーダーはあまり力を持っておらず、全ての重要な事柄は年寄りの助言によって決まる。

また秘密結社は力がある。

ジャングルの中にコヌコという農地があり、そこでやまいも、ゆかいも、トウモロコシなどを栽培 している。
 

 バントゥ族はコンゴ川流域に住み、この部族はナイジェリア沿岸の人々と文化的な類似が見られる。

このグループには次の部族が属している。

 

ビンガ(バビンガ)、バベンバ(ベンバ)、カマフンダ、モンドンゴ、ンゴンベ(モトアンゴンベ)、 バコンゴ(タカンガ)、単純に『コンゴ』と呼ばれる部族。 

 

コンゴ川の河口のバナナ港にイギリスが工場を持っていたので、1715年から1730年には沢山のバントゥ族がそこへやってきた。
社会的構造は『ギニア』沿岸の部族とよく似ている。

父系の氏族組織を築いているが、集落を超えるためには政治的構造が欠けている。
 

コンゴ中央部からベネズエラへ渡ったのは

 

ビンディ(バビンディ)、モンゴ、ルバ族

 

だけである。

この地域は母系社会で、ルンダ族は専制的な王国を築いた。
これら全てのバントゥ系コンゴ族の信仰は極めて類似している。

アンダーソンによると、コンゴ族はンザンビという天界に住む世界の創造主である最高神を崇拝している。

 

制度化された信仰はないものの、大地の神、自然の神などを崇めている。

先祖への礼拝がもっとも重要視されている。

またビロンゴと言う生命力への信仰もあり、それはある物体の中へ入りこむことを可能にする。この信仰はフェティシズム(物神崇拝)に由来している。

 

しかし、コンゴ族が単なる物体のような物を崇拝するとするのは間違った考えである。彼らが崇拝するのは常にある物体の中に存在する力なのである。

彼らは魂の恒久性を信じ、魔術は大変大きな意味を持つ。

魔術師は動物に姿を変えることも可能であると信じられている。

また、トランス状態の祈りと降霊はコンゴの間では普通である。

 

ポルトガルがコンゴの王位に就くようになり、15世紀には多くのものがその民となったが、後にキリスト教は失われてしまう。 しかし、キリスト教の名残は今日まで残っている。 それはある魔術の儀式に用いられる十字架や、母と子供の彫刻に見られる。
 

 コンゴ族の信仰のある特徴が『マクンバ』というリオ・デ・ジャネイロの信仰の中に残っている。 しかし、ヨルバ族や交霊術の影響を受け変質してしまっている。

   

コンゴ、アンゴラ地域のバントゥ族の文化は非常に似ている。

ポルトガルはこの地域から奴隷を何千何万とブラジルやスペイン領に送り出した。

われわれのリストには次のグループの名前がある。

 

アンゴラ、カンバ(カンブタ)、バコンダ(カマコンダ)、バコンガ、コンゴ、カランガ(チャララ) ルアンゴ、マバラ、マレンバ、バスチ(スチ)、アスンディ(スンディ)

 

母系社会を築き、長方形の住居に暮らす。トーテミズムがしばしば見られ、農業を営み、漁業や狩りも同様に重要。
 

コンゴ族による専制的な王国についても触れておかねばなるまい。

その歴史は15世紀、16世紀のポルトガルのこの地域への入植の歴史と密接に繋がっている。

リバスは現代のアンゴラの部族の信仰について書いている。

 

至高の神はザンビと呼ばれ、世界の創造主であり、また生と死を司る。 ミオンダはあらゆる川の主、キアンダは占い師を補助する善良な精霊、マルンガはジャングルの精霊、キンバンバ、キンバンダは魔術や民間療法を行う司祭である。

司祭は夢を通じて、またトランス状態で精霊の世界と交信をする。

ムロヒは黒魔術を行う魔術師で、交霊術の会もしばしば開かれる。 今日ではオラピラと呼ばれるキリスト教の聖人と混交したコンゴの神々を崇拝している。 また、アフロアメリカの信仰に似た混交信仰も存在する。
 

 ベネズエラの黒人についてより情報を得るため他の情報源を調査したことは貴重だった。

アコスタ・サイネスによるとアンゴラの王はンゴラと呼ばれ、ンドンゴという土地を支配していた。

ポルトガルがンゴラという王の名前を領土の名前と間違え、アンゴラとしたのがその名前の由来。 

 

また、カラバルを経由して送り出された奴隷はキューバ、メキシコ、ベネズエラなどではカラバリと呼ばれた。カラバリと呼ばれたこの地域の部族にはイボ、エコイ、イビビオ、イジョなどが含まれると思われる。 

 

アギレ・ベルトランは、アラブの民がマンデ族のことを『ガンガラ』と呼んいたことから、 ガンガ族はマンディンガ族を構成する部族のひとつであったと指摘している。 

フェルナンド・オルティスもまたガンガ族について述べているが、オルティスはむしろロアンゴ族に属していたのではないかと考えていた。なぜなら彼らは魔術師を『ンガンガ』と呼んでいたからである。


 初期にアメリカ大陸へ運ばれた奴隷にはマンディンガ族が多く含まれていた。彼らは偉大な魔術師として有名であったため、非常に恐れられていた。 

アメリカ大陸に運ばれたマンディンガ族の一部はイスラム教徒で、当時ブラジルにいた大半の白人よりも進んだ文化を持っていたのではないかと考えられている。

また農園主達は奴隷の中でもその反抗心からイスラム系の黒人を所有することを嫌った。
 

 ラモスによると、ミナと呼ばれる部族はコンゴ族ではないかと考えられる。

ガーナ、トーゴ沿岸に由来する奴隷がミナという名前で呼ばれることに関して、最も論理的であるとされることから、研究者の間で意見は一致している。

ベネズエラの『ミナ』という太鼓はこの地域にそのルーツがある。 

 またラモスはガー、シー、エウェ、ヨルバとナゴを同一視している。 ヨルバ族をこの名前のみで呼ぶ研究者もある。

ラモスによるとナゴの言葉はブラジルの黒人の間では『くだけた言葉』となっていき、現在でもヨルバ語はバイーア地区のカンドンブレの儀式に用いられる典礼の言語となっている。


 ベネズエラにはタリ族が大勢いた。ヤラクイ州にはタリという地域がある。

植民地時代、カラカスにタリ族はキューバのカビルドのような同族組合(コフラディア)を有していた。

アギレ・ベルトランによると彼らはエウェ・フォン族に属し、エルミナ経由でガーナからベネズエラに送られた。


 以上の分析を要約すると、アメリカ大陸には3つのアフリカ系グループの存在が認められる。

 

a) 西海岸、つまりギニアの文化(ガーナ、奴隷海岸、ナイジェリア)。  ファンティ、アシャンティ、エウェ、フォン、ヨルバ、タリ、カラバリ、、、など。

 

b) コンゴとアンゴラ地域のバントゥ文化


c) イスラム系マンデ語族の文化
 

 バントゥの要素はあちこちに散見されるが、しばしばグループa)との混合が見られる。

アメリカ合衆国南部やイギリス植民地、オランダ植民地(ジャマイカ、グァジャナ、アンティジャ)ではファンティ・アシャンティ文化が優勢である。 トリニダードではヨルバ族の影響が見られる。
 

 フランス領国(ハイチ、マルティニク)とフランス領ルイジアナではエウェ・フォン文化の寄与が見受けられるが、コンゴ族の寄与もまた重要である。 

ブラジルでは音楽や信仰において何よりもヨルバの要素が際立つが、フォン族(マラニョンにおける信仰)、コンゴ族(『コンゴの王』という組織)、マンディンガ族(お守り)らの寄与もまた重要である。

 キューバにおいてはサンテリアというヨルバ(ルクミ)の信仰が優勢であるが、カラバリ(ニャニギスモ) や、コンゴ族(『コンゴの王』へ捧げるお祭り)の影響もまた見受けられる。
 

 ベネズエラにおいて、アフリカ由来の文化の要素や特徴を見出すことは出来るが、それを完全なカタチで見出すのは難しい。 なぜなら、農園主の間で奴隷を分配することが習慣となっていたので、黒人達は同族のものとの繋がりを失っていったからである。

農園では異なる部族のもの同士か、ベネズエラ生まれの黒人が奴隷として使われ、同族のものが同じ農園で働くことはなかった。

 

 このように奴隷を分散させることで、奴隷のベネズエラ文化への同化を、また組織的な反乱の危険を低減させることとなった。 一方で、同族の、または同郷の奴隷達はコフラディアという同族組合において集っていた。 ベネズエラではあるアフリカ文化が他のアフリカ文化に対して優勢になることはなく、原住民の文化が常に重要な役を担ってきた。


プロフィール アンヘリーナ・ポラク・エルツ: 奴隷の末裔、著書『ベネズエラ国民にみるアフリカの痕跡』                 アンドレス・ベジョカトリック大学、歴史調査研究所、                  カラカス在住

アフリカ系イスラム教徒
参考資料等